Project8 オープン・D・チューニング

4.ロックがやってきた(2)

激動の時代にロックミュージックは自由を求める少年たちの心をとらえた。
ブルースの魂は、エレキギターとペンタトニック・スケールによってパワフルに生まれ変わり、ロックに引き継がれた。
それが、現状に満足出来ない少年たちの心を揺さぶった。
爆発的な人気の高まりと共に、ロックミュージックは様々な方向性に展開して行く。
そして、多くのクリエイティブなアーチストが出現した。

この頃のロックには共通の”ある感覚”が感じられる。(実はこれを映画にしようと思っているのだが)
現実を超越した自由があり、音の向こう側にアルカディア(理想郷)が見える。
ともすれば、ロックが反体制と見なされていたのは、この感覚のためだと思う。
しかし、ロックミュージシャンは単純に音楽によってアルカディアに行きたかっただけなのではないか。
それが、満たされなかったときや、高揚した演奏の反動などから、ドラッグに走るケースも多かったが。

この時代、学生運動が盛んで、彼らも現状を否定し新しい社会を作ろうとしていた。
ロックと目指している方向が同じに見えるが、あまり結びつきが感じられない。
学生運動は、フォークと親和性が強い気がする。
今では考えにくいが、当時フォークとロックは相容れない部分があった。
”フォークの神様”ボブ・ディランは、ニューポートのフォーク・フェスティバルにエレキバンドを従えて登場し、観客の大ブーイングを浴びた。
そして、涙を流しながらアコースティックで演奏した。
理屈っぽくて、”正しさ”を求めるフォーク・ファンのいやな部分が出た事件だ。

ロックはもっと感覚的、衝動的で、理屈を超越している。
フォークが学生っぽいのに対して、ロックは不良っぽい。
フォークが言葉を大事にするのに対し、ロックはサウンドだ。
(日本で歌詞の意味がわかってブリティッシュ・ロックを聞いていたやつなんているのかな?)

いっぽう、公民権運動により時代を変えようとしていた黒人たちもロックを聞いていたという感じがしない。
ロックの黒人プレイヤーとしては、ジミー・ヘンドリックスという絶対的存在がいた。
ロック初期のチャック・ベリーやリトル・リチャードは、ビートルズやローリング・ストーンズに決定的影響を与えた。
しかし、プレイヤーとしてもリスナーとしても黒人は、ロックでは少数派の印象が強い。
やはり、ブラック・ミュージックの主流はR&Bやソウルだった。(これがまた、かっこいいんだけどね)

激動の時代は終わり、少年たちがロックに託した世界観は失われてゆく。
少年たちは現実を受け入れ、夢を見なくなった。
本当に?

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