Project8 オープン・D・チューニング
特別編2 俺はミュージシャンだった。(2)
チャック・ベリーのコンサートに、今回はバックバンドが一緒に来日した(→ココを参照)。
ベース、ドラム(女性か?)、キーボードのシンプルな編成。うまくはないがタイトな演奏で、まあ合格点だ。
チャックはリラックスして、余裕のある演奏をしていた。過去の再現ではない。
かなりフェイクを入れた歌い方だし、ロックギタリストが挙ってコピーした有名なリフもそんなには弾かなかった。
しかしそれが、ナチュラルだった。無理をしていない。キーボードにソロ(3連で連打するロックンロール奏法ね)をまかして休んだりしている。
「メイベリーン」を歌う。街で見かけたメイベリーンへの抑えられない恋しい気持ちをシャウトする。
チャック・ベリーの作る詞は、誰しもが10代に経験するハイスクールライフやガールフレンド・音楽なんかへの思いだ。
そして、その詞から情景が映画のように鮮やかに浮かび上がる。彼の詞の凄さはジョン・レノンも指摘していた。
難しい理屈も主張もなく聞く者を誰も拒まない。それでいて高いクウォリティーを持っている。やはり、天才だ。
曲にも詞にも歌にも演奏にもパワーがあり、観客は七十代半ばのじいさんの歌うラブソングにノリノリだ。
見ているうちに体の奥ににずっと忘れていた感情がよみがえってきた。小さくなっていた心が解放されてきた。
いま会社に勤め、時間を作って映画を撮っている。役者を探すために小劇場の芝居も見ている。
面白い芝居に時々出会う、面白い役者も何人か見つけた。気の合う映画関係者も何人かいる。
人がどう思うかはわからないが、これまでいたどの会社でも人に負けない実績を残したと言い切れる。
でも、俺の本質はミュージシャンなのだ。
以前、演劇が嫌いだった。見るのもいやだったが、やっているやつらも嫌だった。
日本映画が嫌いだった。それを作っているやつは大嫌いだった。
大学でジャズをやっていた仲間が嫌だった。お坊ちゃんの遊びにしか感じられなかった。
新卒で会社に入って、不条理な現状を受け入れている同期が嫌だった。転職がタブーの時代に俺は会社を辞めた。
なんて言うのか、特権的な部分や威張っている部分を感じるとダメだった。
組織の中での政治力やかけひきや排他的なところや教祖に対するみたいな従順さがダメだった。
音楽は自由だった。誰でも受け入れてくれるし、誰でも参加できる。組織が苦手でもギター1本で一人で始めればいい。
音楽を技術と勘違いしているやつも多いが、伝えたい何かがあれば技術なんて後からついてくるのだ。
そして、多くのサクセス・ストーリーが生まれた。いや今も生まれ続けている。
音楽を始めた。自分の感性で高い完成度を目指せばよかった。
年月が過ぎ、機材の進歩によって誰でも映画が作れる時代が訪れ、映画を作り始めた。
音楽と同じように自分の感性で高い完成度を目指そうと思った。
会社の仕事も同じ。プロセスが仕事ではなく結果を作るのが仕事の気持ちでやってきた。ただし筋を通してね。
だけど、だんだんとその原点、自由な心を忘れてしまっていたようだ。
振り返ると映画製作上の悩みは、その原点に戻れば解決することばかりだ。
映画の技術的な決まり事や常識は、あくまで手段の一種であって、法律ではないのだ。
会社の仕事でも、くだらんことで悩みすぎた。
音楽と違って、多くの人と接しなければならないから、少しずつ原点から遠ざかり、少しずつ悩みが蓄積されていたのか。
チャック・ベリーのステージは、いろいろなことを思い出させてくれた。そして、自由な精神をもう一度教えてくれた。
観客が、「ジョニー・B・グッド」をせがむ。「『ジョニー・B・グッド』を聞きたいの?」と聞き返すチャックは孫に昔話をせがまれているみたいだった。
そして、例のリフを弾いて歌い始める。観客は大騒ぎだ。
ステージの途中に2回、距離は短かったがダックウォークも見せてくれた。あなたの回りに中腰で片足ケンケンできる七十代がいるかい?
チャックから”狂”の部分は消えていた。リラックスしてまるくなっていた。
でも、ロックン・ロールの魂は消えていなかった。HAIL! HAIL! ROCK'N'ROLL!
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