Project12 やり投げ警備員

3.なぜ、そこまでして

どうもスポーツジャーナリズムというのが好きになれない。
物事の本質を見抜き、それに対して鋭い批評を投げかけるといったジャーナリストらしさが感じられない。
ライターは、自分が持っているスポーツへの美学を語り、それに反する事実は語ろうとしない。
たとえばJリーグだが、”理念”優先の運営にはかなり矛盾が多いのだが、鋭い突っ込みは見られない。

そういったスポーツジャーナリズムでここ数年よく使われるのが”楽しむ”という言葉だ。
大きな勝負を”楽しむ”のが彼らのお好みらしく、選手からもその言葉を引き出そうとする。
これがどうにも嫌でならない。
スポーツ選手の”楽しむ”発言には、その裏にある種の”余裕”を感じる。
つまり、いい環境だったり、持って生まれた素質だったり、経済力だったり、いい仲間だったり、
異性の理解者だったり、優秀な指導者だったり、そういった物に恵まれて、余裕のある状態が見える。
極端な話、楽しんで全力を尽くせば結果は気にしないと言っているように聞こえる。
素晴らしい!美しい!健全な市民生活を送る人達のハートに響く言葉ですね。

だけど、楽しんでいるとは到底思えないような勝負に挑むスポーツ選手もいる。
一例をあげると昨年5月場所で足を痛めているにもかかわらず武蔵丸との優勝決定戦を戦った貴乃花だ。
足を犠牲にして、鬼の形相で武蔵丸を倒したその姿は小泉総理(「感動した!」)だけでなく、見る者すべてに感動を与えた。
しかし、その代償は大きく、いまだに後遺症に苦しみ、引退もささやかれている。
さて、この決戦を前に足の痛みに苦しんでいる貴乃花に「楽しんで下さい」などと言えるだろうか?

もしも貴乃花が楽しむタイプならば、千秋楽は休場し翌場所に備えたであろう。
なぜ、そこまでして相撲を取るのか?どうしてそこまで、がんばろうとするのか?
横綱としての責任感か?両親の離婚・兄の引退・マスコミのバッシングなどで追い込まれたせいか?
貴乃花からは、それ以上の”業”のようなものを感じてしまう。
勝負に向うのが、貴乃花の宿命だったのだ。

そして、他にも”業”を背負った男達はいた。

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