Project1 おばあちゃんのレコード

4.母と娘

おばあちゃんは、母と二人の生活を筝と地唄を教えて支えていた。
母は芦屋へ出稽古についてゆき、びっくりするくらいお年玉をもらったことがあるそうだ。
おばあちゃんは、母の筝の演奏レベルを高く引き上げることはしなかった。
それは母に自分と違う人生を歩ませようとしたのだと思う。

おばあちゃんは「芸は身を助ける」とよく言ってたらしいが、その言葉通り芸によって苦しい生活を生き延びた。
けれども、我が子である母にはそんな苦労はさせたくなかった。
なまじ芸があることによって、流されてしまうのを防ぎたかったのかもしれない。
母は女学校を出ると経理の仕事で勤めに出た。そして、おばあちゃんの勧めで公務員の父と結婚した。

日本には習い事の文化がある。お茶、お花、舞踊。筝もまだ人気のある習い事だろう。
発表会に知人や家族を招いて演奏を披露する、あるいは、自宅を訪ねて来た客人を演奏でもてなす。
そういった、教養としての演奏はよしとするが、お金を取って大衆の前で演奏するのは「恥」と考える。
この保守的な感覚が以前は女性の主流だった。すくなくとも1970年代までは。そしてすくなくとも表面的には。

だから、おばあちゃんは何も語らなかった。
生活のために、レコードを出したり、電気館で演奏したのはかっこいいことではなく、「恥」と感じていたのだ。
でも、本当は演奏するのが好きだったんじゃないかな。
レコードは戦前、四谷の親戚のところにあったと聞いている。
しかし、戦災ですべて焼けてしまった。

僕はレコードを探しに街へ出かけた。

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